2013年10月29日

京都市上京区の浄福寺で、秘仏「栴檀瑞像釈迦牟尼仏」(高さ1・3メートル)と釈迦堂内部が約100年ぶりに公開

京都で約100年ぶりに秘仏公開 浄福寺、釈迦堂内部も

 約100年ぶりに公開されるのを前に、報道陣に公開された秘仏「栴檀瑞像釈迦牟尼仏」=京都市上京区の浄福寺

栴檀瑞像釈迦牟尼仏.jpg

 京都市上京区の浄福寺で、秘仏「栴檀瑞像釈迦牟尼仏」(高さ1・3メートル)と釈迦堂内部が約100年ぶりに公開されるのを前に、29日に報道陣に公開された。一般公開は11月1〜10日。

 秘仏は、清凉寺(京都市右京区)に祭られている「三国伝来生身釈迦如来立像」(国宝)を鎌倉時代にまねて造った最初の像とされる。

 釈迦堂は総ケヤキ造り。1756年に建立された。建物の土台にひずみが出ていたため、あまり使われておらず、2011年から木材を解体し、修復工事をしていた。
◆浄福寺 お釈迦さまの話を聞きたい「ふれあい体験型」
 秋の「京都非公開文化財特別公開」が11月1日から10日まで、京都市、宇治市、八幡市の京都府内21カ所で開かれます。普段は拝観できない社寺などで、文化財が見られる貴重な10日間。◆百年ぶりの釈迦堂公開


 浄福寺では、2011年から解体修理をしていた釈迦堂(京都市指定文化財)が、今回の公開に合わせて完成します。1756年(宝暦6年)建立の釈迦堂が公開されるのは100年ぶりのことで、初日11月1日は午前9時から、式典が開催されます。「お寺でこういう時は、法要をするのが一般的なのですが、法要と言うと、どうしてもお坊さんとかお檀家さんの代表だけになってしまいます。そうではなく、全てのお檀家さんや、ご近所の方、全国から来てくださる方々の前でご披露をしたいなと思い、どちらかと言えばデパートのオープン式のようなことをいたします」。そう語るのは、住職の菅原好規さん。菅原住職は、幼稚園の園長でもあり、またバンドを組んで各地で法話を交えたパフォーマンスを披露するなど、多彩な活動を行っています。式典では、住職が作詞した釈迦堂のテーマソング「三国伝来のお釈迦さま」の初披露や、参加者全員でクス玉割りなども行われるそうです。


 また釈迦堂のオープンに合わせて、秘仏の本尊「栴檀瑞像(せんだんずいぞう)釈迦牟尼仏」が初公開されます。菅原住職は、釈迦の由来について話をしてくれました。「三国伝来のお釈迦さま。これはインド、中国、日本と伝わってきたお釈迦さまという意味でございます。栴檀瑞像のお釈迦さま。お釈迦さまが約2500年前、現役で布教活動をされていたときに、そのお姿を後世に残そうということになりました。今みたいに写真はございませんから、お釈迦さまを見ながら、栴檀の木で木像を作られて、それが栴檀瑞像のお釈迦さまでございます…」。その朗らかな口調は、まるで落語の小話のようで、自然と引き込まれていきます。


◆仏の教えをやさしい言葉で


 お釈迦さまの話を聞きたい――。そんな希望が、近ごろは特に若者から多くあるそうです。「時代の要望と申しましょうか…」と菅原住職はしみじみ。特別公開の期間中は、毎日1時間おきに7〜8回、住職による「絵解き法話」が行われます。今回のテーマは「釈迦一代記」。釈迦の誕生から悟りまで、そして亡くなった後、と涅槃図の周りに十六枚の絵が付いている十六相涅槃図を使用し、釈迦の生前の姿を写した絵を中心に、菅原住職がやさしい言葉で仏の教えを語ります。ほかにも絵や写真を使い、紙芝居のようにストーリーを組み立てるなど、さまざまな工夫を凝らしています。「住職の絵解きにはファンがいらっしゃいます。この機会にぜひ聞いていただきたいですね」と京都古文化保存協会の後藤さんも一押しの絵解き。

 「…自然は絶えず変化していく。私の心も、今幸せだったとしても、その幸せがずっと続くかというと、そんなことはないですね。でもそれが絶対続いてほしいと思ってしまうと、そこに悩みや苦しみが発生してくる。悩みや苦しみの大きな元というのが諸行無常、もう一つが諸法無我といいます。涅槃図にはいろんな動物が描いてある。すべてのものはお互いにつながり合っている。誰ひとりとしてぽつんと一人では生きることはできない。もっと突っ込んでいいますとね、私はこのお猿ちゃんが大好きだと言ってね、この猿だけを、みんながつながっている中から切り取って、自分一人のものにすることはできない。この世のすべてのものは…」といった調子で、15分の法話はあっという間。その教えは心にすっと入ってきます。

◆地獄と極楽を手作りゲームで学ぶ


 また浄福寺では、子どもが楽しく仏教を学べる、しかけがたくさんあるのも特徴です。「地獄極楽コリントゲーム」という、玉を小棒で突いて盤上に転がす遊戯台や、「浄土双六」、「十界ゲーム」と称した輪投げなど、遊びを通して仏教用語を知ることができます。それらはすべて、住職の手作り。大人にとってはどこか懐かしさが感じられる場でもあります。


 浄福寺ではほかにも、本堂と方丈を公開。「日本最古の違法建築」と言われる本堂。外から見ると、二つの建物が並んでいるように見えますが、内部ではつながっており、一つの大きな間が広がっています。江戸時代、日本で初めて建築基準法のようなものが制定され、建物の奥行きが三間(約6メートル)以内に規制されました。そのとき浄福寺では「法の網の目をかいくぐって」その規制を逃れる工夫を凝らしたそうです。また方丈の天井には、一面いっぱいに龍が描かれた「天井龍図」(山田文厚・作)があります。絵の下でぱんと手をたたくと、室内が「びーん」と響くことから、そこは別名“鳴き龍の間”といわれています。


 様々な趣向を凝らした浄福寺の特別公開について、後藤さんは「ふれあい体験型」とほほ笑みます。菅原住職から仏の教えを直接聞き、100年ぶりに公開される釈迦堂を拝観し、お釈迦様に出会う。人と仏教が出会う場で、豊かな心が育まれそうです。


 釈迦堂はこのほど、地元「西陣」の名を冠して「西陣釈迦堂」という愛称がつけられました。

※釈迦堂は、特別公開終了後、毎月25日の開帳日と、12月8日(浄土会)、2月15日(涅槃会)、4月8日(釈迦の誕生を祝う降誕会)の年中行事の日に拝観することができます(開始時間はいずれも2時から)。
★浄福寺通りにある浄福寺(じょうふくじ)です。

浄福寺は延暦年間(782〜802年)に天台宗の寺として建立され、当時は京都二十五大寺の一つに数えられていました。
室町時代末期の大永5年(1525年)に後柏原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになり、その後何度か移転を繰り返し、元和元年(1615年)に現在の場所にに定まりました。

浄福寺(じょうふくじ)は、朱塗りの山門が浄福寺通に面している。「日本最古の違法建築の寺」として知られている。引接地蔵と呼ばれる地蔵尊が安置されている。赤門があることから赤門寺、村雲(むらくも)寺ともいう。山号は恵照山(えしょうざん)。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
 江戸時代の洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第14番札所、札所本尊は浄土引接地蔵。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 奈良時代-平安時代、延暦年間(782-806)、創建されたという。奈良興福寺の学僧・賢憬が葛野郡村雲に堂宇を建立した。唐より将来した釈迦如来像を安置したという。当時は、二十五大寺のひとつとされた。(『拾芥抄』)。当初は天台宗だった。
 また、平安時代、896年、第58代・光明天皇中宮・班子(はんし)が建立したともいう。天台宗と法相宗の年分度者2人を出す。定額寺に列せられ、「浄福寺」の額を贈られたという。(『類聚三代格』)
 901年、宇多法皇(第59代)は、母・班子のために当寺で一切経を供養する。(『日本紀略』)
 912年、焼失する。
 960年、焼失した。
 天台僧・良源(912-985)が再興する。
 再び焼失する。
 鎌倉時代、1276年、第91代・後宇多天皇の勅により、一条村雲に移る。以後、村雲寺とも呼ばれた。(『拾芥抄』)
 1318年、後宇多天皇の命により、鎌倉・建長寺の元暁が住した。
 室町時代、1344年、祈願寺となる。室町幕府初代将軍・足利直義が300貫文を寄付する。(『浄福寺由緒書』)
 1525年、第104代・後柏原天皇は、知恩院・超誉存牛に帰依し、当寺の三昧堂建立を許し、「念仏三昧堂」の勅額を寄せる。以後、浄土宗を兼学とする。
 1572年、知恩院末寺となる。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、相国寺門前北に移る。
 江戸時代、1615年、現在地に移る。京都所司代・板倉勝重が援助したという。
 1628年、鐘楼が再建される。 
 寛文年間(1661-1673)、浄土引接地蔵は第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 享保年間(1716-1736)、鐘楼、南門を除き焼失したともいう。
 1719年、焼失したともいう。
 1730年、焼失したともいう。
 1731年、西陣焼けでは焼失を免れたともいう。(『西陣天狗筆記』)
 1731年から1733年(1733年とも)、現在の本堂が再建されたともいう。
 1736年、方丈が再建される。
 1756年、釈迦堂が再建される。
 1788年、天明の大火により焼失する。本坊は類焼を免れた。(『翁草』)
 幕末、境内は薩摩藩下級武士の宿所となる。藩士らは「浄福寺党」と呼ばれる。
 近代、1887年、境内に当寺、建仁寺、本圀寺、妙覚寺による共済学校が開校する。現在の浄福寺幼稚園の前身となる。
 1985年、本堂以下9棟が京都市指定文化財となる。
◆賢憬 奈良時代の法相宗の僧・賢憬(けんけい、714-793)。尾張国に生まれた。興福寺の宣教に師事、754年唐の僧鑑真を難波に迎え、755年旧戒を破り鑑真に具足戒を受けた。758年唐招提寺に一切経を奉納。774年律師。778年頃に大和国室生山で延寿法を修し山部皇太子(第50代・桓武天皇)の病を治した。780年、多度大社神宮寺に三重塔を建立、宝亀年間(770-780)に室生寺を創建した。784年大僧都。785年最澄の戒牒や『多度神宮寺伽藍縁起並資財帳』に、僧綱の一人として署名した。793年の平安遷都選定に際し山背に派遣される。比叡山文殊堂供養で導師をつとめた。賢m(けんきょう)、尾張僧都、尾張大僧都とも呼ばれた。
◆班子女王 平安時代前期の女御・班子女王(はんしじょうおう、833-900/853)。父は仲野親王。時康親王(第58代・光孝天皇)の即位前に妃となる。定省親王(第59代・宇多天皇)、為子内親王ら4男4女を生む。884年、光孝天皇即位により従三位女御、887年宇多天皇即位により皇太夫人、孫第60代・醍醐天皇即位により皇太后となる。897年、醍醐天皇に娘・為子内親王を入内させる。生前、藤原時平による妹穏子の入内を拒み続けた。
◆仏像・仏画  本堂内陣に須弥壇上に本尊阿弥陀如来像を安置する。木彫漆箔、胎内背部に平安時代、「永長元年(1096年)」の銘が入る。
 釈迦堂に、三国伝来と伝える釈迦仏を安置する。
◆地蔵 地蔵堂に地蔵菩薩立像を安置している。江戸時代作、室町時代後期ともいう。右手に錫状、左手に宝珠を高く掲げている。円光の光背を背負い、極彩色。像高2m。
◆障壁画 本堂裏堂壁画は江戸時代の鶴沢探鯨(?−1769)筆「拈華微笑図」。
 方丈障壁画は江戸時代から近代の山田文厚(1846-1902) 筆「天井龍図」の鳴き龍、江戸時代の岸駒(1756/1749-1839)筆「十六羅漢図」「虎の絵」。
◆建築 江戸時代中期の浄土宗寺院の伽藍配置様式を伝えているとされる。本堂ほか8棟(釈迦堂<1756>、方丈<1764>、書院<1734>、玄関<1734>、鐘楼<1628>、南門<1657>、東門(赤門)<17世紀前半>が京都市指定有形文化財に指定されている。
 本堂は江戸時代、1731年の西陣焼けでは焼失しなかったといわれている。ただ、この時焼失し、その後再建されたともいう。1733年に再建されたともいう。1731年から1733年に再建されたともいう。
 1666年、幕府より「三間梁機制」という建築に関する御触書が発せられた。「寛文八年令」の『御触書寛保集成』というもので、全国の寺院に適用された。建物の上屋の梁間は3間(19.5尺=5.9m)内に制限される。桁行の規制はなかった。本来は、武家屋敷の伊達家愛宕上屋敷の規制のために設けられた、1643年の御触書に端を発している。1657年には町人屋敷にも拡大され、 さらに規制は全国の寺院に及んだ。その後、8代将軍・吉宗の「享保の改革」(1716-1745)で幕府は規制を厳格に運用するようになったという。
 寺では、梁に規制があるため、桁を伸ばすことで広い堂内を確保しようとした。南の入母屋造の礼堂と北の寄棟造の仏殿の間を、両下げ造の「合の間」で繋いだ複合建築になっている。外観は南北に二つの建物が並列するように見せ、内部は二つの部屋を一つの部屋とし、奥行き9間の大広間を確保した。役人は違法ともいえず、この「日本最古の違法建築」を黙認したという。入母屋造、重層、本瓦葺。
 地蔵堂は、四柱造、本瓦葺。
◆絵解き法話 「絵解き法話」が行われている。江戸時代の木版画で森田易信筆の「仏説阿弥陀経変相 善光寺蔵版」(1848)による浄土宗の絵解き法話の例。釈迦が説いた浄土三部経の一つ「阿弥陀経」の「極楽」より。
 釈迦は、祇園精舎で大勢の弟子を前に極楽について話した。極楽では阿弥陀仏が人々に教えを説いている。極楽には、七重の垣根、網飾り、並木があり、樹木は金、銀、青玉、水晶で、池は七宝でできている。蓮の花は青、黄、赤、白の4色に咲きそれぞれその色の光を放っている。人は蓮の葉の上で戯れ、新しく極楽に生まれた人は合掌する。極楽には、いつも清らかな音楽が流れ、黄金の大地には花が降りそそぐ。人々は、毎朝、他の仏の国に飛んでいき、その仏を花で供養している。昼には極楽に戻り、食事をしてその後は瞑想や散歩をする。美しい鳥が一日に六回 仏教の教えを説いて鳴く。さわやかな風が吹いて、人々は「仏・法・僧」を念じている。
 阿弥陀仏の光明や寿命は無限である。一心不乱に念仏を唱えると、臨終の際に阿弥陀仏と菩薩が迎えに来るものという。
◆十王図 室町時代、1489年、土佐光信筆、絹本著色「十王図」(重文)が伝わる。十王図とは、冥界に棲むという10人の王を描いた絵のことで、読み書きのできない人々に対して、これらの絵解きをすることで仏法と行いを戒めたものという。
 人はその没後、多くは中陰と呼ばれる存在となる。人の死後7日後毎に、その後は100日、一周忌(1年後)、三回忌(2年後)の節目に、これらの王の前で順番に生前の罪業を裁かれるという。通常は7度の裁きが待ち受け、決まらなければ追加の審理が3回行われる。
 もとは、中国で仏教、道教思想と習合したもので、日本では、平安時代末期の末法思想、冥界思想、儒教思想も加わる。鎌倉時代には本地仏がそれぞれの王に対比された。また、独自の三途の川(賽の河原)、奪衣婆(だつえば)、懸衣翁(けんえおう)などの概念が加わった。江戸時代には十三仏信仰も生まれた。
 十王、@秦広王(しんこうおう)は仏教の五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪婬戒、不妄語戒、不飲酒戒)を審理する。A初江王は殺生について、B宋帝王は邪婬について、C五官王は生前の言動について、D魔閻王は生前の悪業のすべてを浄玻璃の鏡に写し、閻魔帳により指摘する。E変成王(へんじょうおう)は、閻魔王の報告に基づき裁きを下す。F泰山王は六の鳥居(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を示し、自らに選ばせる。G平等王は、改心できないものを裁く。家族、親族による追善供養によりその罪は軽減され救済される。H都市王とI五道転輪王は平等王に同じ。
 三途の川(賽の河原)とは、此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる。奪衣婆とは、三途の川を渡った衣領樹(えりょうじゅ)の下で待つ。懸衣翁は亡者から剥ぎ取った衣類を衣領樹の枝にかけ、罪の重さをその枝のしなり具合で測る。
 俗信として子供は、親より先に死に親を哀しませた不孝により三途の川を渡れない。生前の布施行を行う間もなかったため、親の供養のために賽の河原で石を積み布施行をし続ける。だが、積み石が完成する前に鬼が塔を破壊してしまう。ただ、地蔵はそうした子供をいつも見守っている。地蔵は、この世とあの世を自由に行き来し、地獄で苦しむ者、苦悩する者をも救うという。
◆天狗伝承 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失するが本坊は類焼を免れた。東門(赤門)の手前で火勢は止まったともいう。伝承があり、この時、鞍馬天狗が赤門に飛来し、大きな団扇で扇いだので火を食い止めたという。 
◆文化財 室町時代、1489年の土佐光信筆「十王像」10幅(重文)(京都国立博物館寄託)は、かつて宮中の仏事に使われていたものを、1530年に第105代・後奈良天皇より贈られた。
 山田文厚筆「寒山拾得之図」。
 鎌倉時代の木版画、「阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図」2幅(重文)(東京国立博物館寄託)。室町時代、土佐光信筆「阿弥陀教変相図」。「観無量寿経曼荼羅(当麻曼荼羅)」「無量寿経曼荼羅」「法然上人涅槃図」「選択集十六章の図」。江戸時代の画僧・古かん(石+間)(1653‐1717)筆「法然上人絵伝」。
◆薩摩浄福寺党 幕末、薩摩藩の京都藩邸は錦小路辺にあった。また、相国寺の西に二本松藩邸が新設れた。さらに、浄福寺の客殿、本坊などを宿所としたという。20人ほどの下級武士が集い、「浄福寺党」とも呼ばれた。当時の薩摩藩士が付けたという刀傷が書院玄関の柱などに残されている。
◆島津歳久 室町時代から安土・桃山時代の武将・島津歳久(1537-1592)。島津貴久(たかひさ)の3男。通称は金吾。薩摩祁答院(けどういん)領主。1587年、豊臣秀吉の九州の役で兄義久は降伏したが、最後まで抵抗し秀吉に面会しなかった。歳久領内を秀吉が通行した際に、家臣が秀吉の駕籠に矢を放ったこともあるという。1592年、島津氏家臣・梅北国兼による肥後佐敷での梅北一揆が起こる。秀吉の朝鮮出兵への不満だったともいう。国兼は戦死し、その遺骸は晒された。その妻も火炙りに処られた。一揆に歳久の多くの家臣が関わったとして、歳久は秀吉により薩摩の竜ヶ水で自刃に追い込まれた。
 歳久の首は、肥前名護屋城の秀吉の元に送られ、首実験の後、一条戻橋で晒された。歳久の従兄弟・島津忠長は、大徳寺の玉仲とともに、市来家家臣に首を盗ませ浄福寺に埋葬したという。近代、1872年、歳久末裔の日置島津家14代・島津久明が薩摩に遺骨を持ち帰る。帖佐(鹿児島県姶良町)の総禅寺に埋葬されていた胴とともに、竜ヶ水の平松神社(心岳寺)に改葬した。その後、大乗寺跡(日置市)に改葬されたという。兄義久は今熊野観音寺に墓がある。
◆塔頭 常照院、玉林院、松声院、雲松院、長徳院があったという。
◆墓 江戸時代の第119代・光格天皇皇女霊妙心院(1811-1811)、江戸時代前期医師・古医方の名古屋玄医(1628-1696)、室町時代から安土・桃山時代の富商・粽菓子商の川端道喜(?-1592)、室町時代から江戸時代の能楽・狂言師・鷺流初代の鷺仁右衛門(1560-1650)、江戸時代から近代の日本画家・山田文厚(1846-1902) など。
 安土・桃山時代、1592年に豊臣秀吉に逆らい自刃に追い込まれた薩摩藩士・島津歳久(1537-1592)が一時寺に埋葬されていた。近代、1872年に郷里に遷され改葬された。
 江戸時代後期の歌人の柳原安子(1784−1867)は正親町三条実同(おおぎまちさんじょう さねどう)の娘。柳原均光と結婚。香川景樹に学び桂門の女流歌人、法号は桂芳院。
◆木 クロガネモチ(上京区名木)、ケヤキ(上京区名木)、玄関前に菩提樹(6月初旬開花)、沙羅双樹。
【浄福寺】
住所:京都府京都市上京区浄福寺一条上笹屋2−601
TEL:075−441−0058
HP:http://www015.upp.so-net.ne.jp/johukuji/index.html
アクセス:
◆京都駅前より
市バス9号系統「堀川今出川」
  ↓ 乗り換え
市バス201号系統「今出川浄福寺」下車

posted by kisebeauty50 at 19:51| Comment(0) | 神社・仏閣・仏像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

モデルのキャンディス・スワンポールが、「ヴィクトリアズ・シークレット」の毎年恒例のファッションショーイベントで宝石のちりばめられた約9億8000万円の“ファンタジー・ブラ”を着用することになった



モデルのキャンディス・スワンポール(Candice Swanepoel)が、「ヴィクトリアズ・シークレット(Victoria's Secret)」の毎年恒例のファッションショーイベントで宝石のちりばめられた約9億8000万円の“ファンタジー・ブラ”を着用することになった。

キャンディスは、「ブラを作るために私の胸の型を取りました。どんな風に仕上がるのか想像しましたが、私の想像を遙かに超えていて、まったく予想もつきません。ただ、私のお気に入りの梨型をした52カラットのルビーということなので、美しくないわけがありませんよね」と興奮気味。

スイスの老舗宝飾ブランド「モワード(Mouawad)」によって仕立てられる今回のブラは、18金のゴールドに、4200以上の宝石が使用されている。

キャンディスはこれほど高額な物を身につけるのが初めてだと認めた上で、その値段から常に2人のボディーガードに見張られていると語る。「こんなに高い物は身につけたことがありませんし、触るときは手袋をしなければいけません。ある意味で大きな試練ですね。2人のボディーガードがいつもついてきますし、とても気をつけて扱わなければいけません」

さらにキャンディスは、本番のキャットウォークに早くも緊張しており、普段の水着の撮影と比べてとても難しいものになるだろうと予想している。「ファンタジー・ブラを着用しての仕事は間違いなく水着の撮影と比べて神経を使うでしょうね、一度限りの物ですから。9億8000万円を身につけて回るというのは少し緊張します」と語った。

これによりキャンディスはファンタジー・ブラを身につけたハイディ・クルム(Heidi Klum)、ジゼル・ブンチェン(Gisele Bundchen)、アレッサンドロ・アンブロシオ(Alessandra Ambrosio)などの名が連なるリストに仲間入りを果たすことになる。
posted by kisebeauty50 at 14:31| Comment(0) | モデル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月25日

中東カタール首長の妹のマヤサ・ビント・ハマド・ビン・ハリファ・サーニ王女美術業界で最も影響力のある人物100人を選ぶ「パワー100(Power 100)」の1位に



英美術誌「アートレビュー(ArtReview)」は24日、美術業界で最も影響力のある人物100人を選ぶ「パワー100(Power 100)」の1位に、中東カタール首長の妹のマヤサ・ビント・ハマド・ビン・ハリファ・サーニ(Al-Mayassa bint Hamad bin Khalifa al-Thani)王女を選出した。

アートレビュー誌によると、マヤサ王女はカタールの博物館・美術館を管理運営するカタール・ミュージアムズ・オーソリティー(Qatar Museums Authority、QMA)のトップとして、年間約10億ドル(約970億円)を美術に費やしているという。これは米国にあるニューヨーク近代美術館(Museum of Modern Art)が前年度に美術作品に費やした金額の30倍にもなる。

昨年は11位だったマヤサ王女だが、「純粋な購買力」を評価されトップに上りつめた。

QMAは昨年、仏印象派の画家ポール・セザンヌ(Paul Cezanne)の傑作『カード遊びをする人々(The Card Players)』を2億5000万ドル(約240億円)で購入。世界で最も高額で売られた絵画となった。

人口200万人以下ながら富裕国のカタールは、中東における文化の拠点としての地位確立を目指しており、中東では最大規模となるイスラム芸術ミュージアム(Museum of Islamic Art)をはじめ数々の博物館や美術館がある。

一方、中国の体制批判で知られる艾未未(アイ・ウェイウェイ、Ai Weiwei)氏は9位だったが、芸術家としてはトップとなった。
posted by kisebeauty50 at 23:23| Comment(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月22日

美しすぎる女優ユ・サラがビキニ姿でコーラ瓶のようなボディを披露

◆韓国最高のくびれ美人がビキニ写真を公開、ネット上で話題に。

最近映画「バカンス」の関係者は主演俳優ユ・サラのビキニ写真を公開した。
写真の中でユ・サラは、スラリとした美脚と自慢のくびれ、ボリューム感ある胸をそのまま露出したビキニを着ている。
ユ・サラのビキニ写真にネット上からは、「このスタイル、たまらない!!」、「あのくびれが本当にセクシー」、「絶対映画見に行くよ」、「ウエストのサイズが気になる。マジで細い」など歓声の声が殺到している。

ユ・サラ.jpg

◆“工大美人”(工科大学に通う美人)として有名な女優ユ・サラがビキニ姿でコーラ瓶のようなボディを披露した。

ユ・サラは、至上最高のパラダイスに招待された6人の男女の物語を描いたエロティックスリラー映画「バカンス」(監督:パク・ソヌク)の公開を控えている。

「バカンス」でユ・サラは、すべての事件の鍵を握っている秘密の女性、スイン役を演じた。映画の予告写真では、ユ・サラがボリューム感溢れる白のビキニ姿で、ベーグル女(ベビーフェイス+グラマー)らしい完璧なボディラインをアピールしている。

これに先立ち、ユ・サラは映画「バカンス」のポスターで赤のランジェリールックを披露し、話題を呼んだ。同映画は韓国で17日に公開される。
posted by kisebeauty50 at 10:01| Comment(0) | 女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月21日

美しすぎる土星かな 土星探査機カッシーニ(Cassini)が10日に撮影した画像



米航空宇宙局(NASA)は18日、土星探査機カッシーニ(Cassini)が10日に撮影した画像を基に作成された画像を公開した。アマチュアの画像処理愛好家でカッシーニのファンだというGordan Ugarkovicさんが作成したもの。

カッシーニに搭載された青、緑、赤のフィルターを用いる撮像装置が撮影した画像12枚を組み合わせてあるが、画像のゆがみをとる幾何補正や、ノイズの除去はしていない。12枚のうち11枚は全ての色を使い、1枚は赤と青のフィルターで撮影した画像だけを使った。

土星.jpg

★土星
仮符号・別名
鎮星、填星

分類
木星型惑星

軌道の種類
外惑星

発見


発見方法
目視

軌道要素と性質
元期:2008年1月1日


太陽からの平均距離
9.55491 AU

平均公転半径
1,426,725,400 km

近日点距離 (q)
9.021 AU

遠日点距離 (Q)
10.054 AU

離心率 (e)
0.05552

公転周期 (P)
29.53216 年

会合周期
378.09 日

平均軌道速度
9.6724 km/s

軌道傾斜角 (i)
2.4886 度

近日点引数 (ω)
93.2143 度

昇交点黄経 (Ω)
113.7357 度

平均近点角 (M)
147.9416 度

太陽の惑星


衛星の数
61 (64)

物理的性質


赤道面での直径
120,536 km

表面積
4.38 ×1010 km2

質量
5.688 ×1026 kg

地球との相対質量
95.162

平均密度
0.70 g/cm3

表面重力
8.96 m/s2

脱出速度
35.49 km/s

自転周期
10時間 13分 59秒
(赤道面)
10時間 39分 25秒
(極)

アルベド(反射能)
0.47

赤道傾斜角
25.33 度

表面温度
93K(雲の最上層)

表面温度


最低

平均

最高

82K 143K n/a


大気の性質


大気圧
140 kPa

水素
>93%

ヘリウム
>5%

メタン
0.2%

水蒸気
0.1%

アンモニア
0.01%

エタン
0.0005%

ホスフィン
0.0001%
土星(どせい、Saturn、ラテン語: Saturnus、ギリシア語: Κρόνος)は、太陽から6番目の、太陽系の中では木星に次いで2番目に大きな惑星である。英語名はローマ神話の神であるサートゥルヌスを由来とし、天文学のシンボルはその鎌を表す(♄)である。巨大ガス惑星に属する土星の平均半径は地球の約9倍に当る。平均密度は地球の1/8に過ぎないため、巨大な体積の割りに質量は地球の95倍程度である。

土星の内部には鉄やニッケルおよびシリコンと酸素の化合物である岩石から成る中心核があり、そのまわりを金属水素が厚く覆っていると考えられ、中間層には液体の水素とヘリウムが、その外側はガスが取り巻いている。

惑星表面は、最上部にあるアンモニアの結晶に由来する白や黄色の縞が見られる。金属水素層で生じる電流が作り出す土星の固有磁場は地球磁場よりも若干弱く、木星磁場の1/12程度である。外側の大気は変化が少なく色彩の差異も無いが、長く持続する特徴が現れる事もある。風速は木星を上回る1800km/hに達するが、海王星程ではない。

土星は恒常的な輪を持ち、9つが主要なリング状、3つが不定的な円弧である。これらはほとんどが氷の小片であり、岩石のデブリや宇宙塵も含まれる。知られている限り62個の衛星を持ち、うち53個には固有名詞がついている。これにはリングの中に存在する何百というムーンレット(英語版)は含まれない。タイタンは土星最大で太陽系全体でも2番目に大きな衛星であり、水星よりも大きく、衛星としては太陽系でただひとつ有意な大気を纏っている

物理的性質
土星と地球のおおまかな大きさ比較
土星は、中心にこそ固体成分を占める核があるが、主要成分がガスであり外縁の境界が不明瞭なため巨大ガス惑星に分類される[14]。自転によって惑星は扁球形状を持ち、極よりも赤道部分が膨らんだ扁平状になっているためにその差はほぼ10%(60,268km 対 54,364km)にもなる[15]。木星・天王星・海王星と言った太陽系のその他のガスもやや扁平しているが、土星ほどではない。土星は太陽系で唯一水よりも30%ほど軽い。その中心核こそ水よりも重い比重を持つが、そのガス成分から平均では0.69g/cm3である。体積は地球の318倍にもなるが、質量は95倍にとどまる[15]。木星と土星の2つで、太陽系の惑星質量の92%を占める。

内部構造
巨大ガス惑星とは言うが、土星はすべてガスで構成されている訳ではない。惑星成分のほとんどを占める水素は、密度0.01g/cm3を超えると非理想溶液となる。土星半径の99.9%部分においてこの密度に達する。惑星内部の温度・圧力・密度はいずれも中心に向かうに連れて高まり、内部に行くと水素は相を変えて金属様になる。

標準惑星モデルでは、土星内部は木星と同じく小さな岩石質中心核を水素やヘリウムなどの揮発成分が取り囲んでいると考えられる。この中心核の構造は地球と似ているが、より濃密な状態になっている。惑星の重力モーメントの試算と、内部の物理的モデルを組み合わせる事で、フランスの天文学者 Didier Saumon とTristan Guillot が、惑星中心にある質量の塊をはじき出した。2004年に彼らは、中心核の質量は地球の9-22倍、その直径は約25,000kmと試算した。これは濃い液体状の金属水素の層に覆われ、続けてヘリウムが飽和した水素分子の液体層があり、高度が増すにつれて気体へ相を変えてゆく。最も外側の層は厚さ約1000kmのガスの大気から成る。

土星内部は非常に高温で、中心核では11,700Kにもなる。そして、太陽光線の形で宇宙空間から受けるよりも2.5倍もの放射を行う。この放出エネルギーはケルビン・ヘルムホルツ機構というゆっくりとした重力の圧縮から生じると考えられるが、これだけでは土星の熱発生量をすべて説明できない。その他のメカニズムとして、惑星内の奥深くで起こる小さなヘリウムの滴による「雨降り」があるのではと考えられる。液滴化したヘリウムが水素の密度が低いところを通る際に摩擦による熱が発生するというもので、惑星の外側の層にあるヘリウムが使われると言う。木星も土星と同様の金属水素の層を持っているが、木星は内部がより高温でヘリウムの水素への溶解度が高いこと・対流が活発であることから、この現象はあまり有効に働かないと推定されている。実際に土星の大気中に含まれるヘリウムの割合は、太陽や4つの木星型惑星のどれよりも低く(体積比で9.9%)、土星内部でヘリウムの分離が起きていることを示唆している[28]。この現象によって中心核はヘリウムで覆われている可能性もある。

大気
外層の大気は96.3%が水素分子、3.25%がヘリウム分子である[29]。このヘリウムの構成比は、太陽内に存在するこの元素の比率と比較すると明らかに少ない。ヘリウムよりも重い元素の量は正確には分かっていないが、原始太陽系形成時の比率に一致すると考えられている。これらの元素は地球質量の19-31倍ほど存在すると見積もられるが、ほとんどは土星中心核にあるものと考えられる。

アンモニア、アセチレン、エタン、プロパン、リン化水素、メタンも土星大気中から検出された。上空に見られる雲はアンモニアの結晶であるが、下に行くと硫化水素アンモニウム (NH4SH) や水へと変わる。太陽からの紫外線は上層大気層でメタンの光分解を起こし、化学反応でつくられた各種の炭化水素が渦巻きや拡散を通じて惑星内部へ運ばれる。この光分解のサイクルは土星の季節変化の影響を受ける。

2005年初頭以後、土星の稲妻の観測が続いている。そのエネルギーは地球の雷の1000倍に匹敵する。

雲の層
2011年に惑星規模で発生した嵐の帯。明るい領域は嵐の頭部で、尾を引きながら左方向に移動している。
土星の大気は木星と同様に帯状の模様を見せるが、赤道近くで淡い幅広になる特徴を持つ。この帯は木星と同じ学術用語で呼ばれる。土星の細かな雲の模様は、1980年代の探査機ボイジャーが到達するまで観測された事は無かったが、その後は地球から望遠鏡を用いた観測が詳細を明らかにした。

雲は表面から中に入るほど圧力が増す。上層は温度100-160K、圧力0.5-2バールでアンモニアの氷から成っている。下の圧力2.5-9.5バール付近の層は水の氷が雲をつくり、温度は180-250Kに上昇する。この層には硫化アンモニウムの氷が混合し、圧力は3-6バール、温度は235-290Kになる。そして最下層では圧力が10-20バール、温度は270-330Kになり、液化したアンモニウムの水滴が含まれるようになる。

カッシーニなどによって、土星の嵐などの気象現象が観測されている。土星大気は通常それほど激しい動きを見せないが、時に木星で見られるような非常に長持ちする楕円形状が現れる事がある。1990年にハッブル宇宙望遠鏡が、探査機ボイジャー通過の際には確認できなかった赤道付近の巨大な白い雲を発見し、1994にも別のより小さな嵐が見つかった。1990年の嵐は大白斑という現象のひとつで、土星の約30年毎に北半球が夏至を迎える頃に発生する、それほど長く持続しないものであった。この大白斑は1876年、1903年、1933年、1960年にもそれぞれ発生し、特に1933年のものが有名である。周期性から考慮すると、次の発生は2020年前後になる。

土星に吹く風は太陽系で2番目に速い。ボイジャーの観測によると、最も速いものは偏東風で速度は1800km/hに達する。2007年、探査機カッシーニが土星の北半球で天王星のような輝く青い色の部分を発見した。これはレイリー散乱によって引き起こされたと考えられた。赤外線による観測から、土星の南極点には他の太陽系天体には見られない暖かな極渦がある事が分かった。土星の表面温度は通常-185℃前後だが、この渦は暖かい時には-122℃にもなり、土星表面で最も高い気温になると考えられている。

北極の六角形の雲
北極の六角形の雲。ボイジャー1号が発見し、2006年にカッシーニによっても確認された。
土星大気には、北緯78度付近で北極を取り囲む固定的な六角形の波紋があり、ボイジャーが撮影した画像から発見された。しかし強いジェット気流の存在が示唆される南極側には、極渦も六角形の波も無いことがハッブル宇宙望遠鏡の観測から明らかになっている。2006年11月にNASAは、カッシーニが南極に明らかな台風の目を持つハリケーンのような嵐が固着している事を発見したと伝えた。地球以外の太陽系天体で、雲がつくる台風の目が発見されたのは初めてだった。例えば、木星の大赤斑には台風の目に相当するものが無い事は、探査機ガリレオが撮影した画像からも明らかになっている。

北極の六角形構造は、直線部の一辺が地球の直径を越える長さ約13,800kmである。

構造全体は、放射磁気と同期すると考えられる土星の内部部分が自転する周期と同じ速度に当る10時間39分24秒で回転している[52]。この六角形構造の動きは、大気中に視認できる雲と違い、経度に沿ったものではない。

このような構造がなぜ出来上がったかについて様々な憶測がある。ほとんどの天文学者は、大気中にいくつかの定在波パターンが生じた結果というが、ある種のオーロラと考える者もいる[要説明]。実験では、流体の差動回転から多角形構造を再現した例もある。

磁気圏
土星は磁気双極子という単純な対称形をした固有磁場を持つ。赤道付近での強度は0.2ガウス(20マイクロテスラ)であり、木星磁場の約1/20、地球磁場よりも若干弱い。その結果として、土星の磁気圏は木星よりも非常に小さい。ボイジャー2号が磁気圏に突入した際、内部の太陽風は依然として強く、磁気圏の大きさは土星半径の19倍(110万km)の広がりしか持っていなかった。その時は、数時間後には膨張を見せたが、結局たった3日でまた元に戻った。磁気圏は木星と同じく内部に液状の金属水素の層が存在し、ダイナモ効果によって発生している可能性が高い。この磁気圏は太陽風を逸らす効果を持つ。磁気圏の外を公転する衛星のタイタンの大気から供給されるイオン化された粒子は磁気圏内でプラズマ化し、極地で地球のようなオーロラを発生させる。

自転と公転
土星と太陽の平均距離は約1.4×109km。一周の公転期間は地球の10,759日(約29.5年)である。
太陽から土星までの平均距離は1.4×109kmである。公転速度は平均9.69km/秒であり地球の10,759日(約29.5年)で太陽のまわりを一周する。公転軌道は楕円で、地球の公転面から2.48° 傾いている。軌道離心率は0.056 であり、近日点と遠日点では土星−太陽間の距離は約1億5500万kmの差が生じる。

外観上の自転速度は、木星と同じく、緯度によって異なった回転周期を持つ領域として観察される。システムTは赤道域を含む領域で、一周が10時間14分00秒(844.3度/地球日)である。他の領域はシステムUと呼ばれ、一周10時間38分25.4秒(810.76度/地球日)で回転している。これらとは別に、ボイジャーが接近した際に観測した電磁波の放射に基づいた回転はシステムVと呼ばれ、この一周10時間39分22.4秒(810.8度/地球日)がシステムUに替わって自転と広く受け止められている。

しかし内部の回転周期は未だ正確に把握されていない。2004年に土星に接近したカッシーニは電磁波の回転を、従来よりも遅い10時間45分45秒(±36秒)と観測した。2007年3月には、電磁波の回転が土星の自転と一致しないことが判明した。この電磁波の変調は土星の衛星エンケラドゥスの間欠泉が影響している可能性がある。土星の軌道上に放出された水蒸気は、磁場の邪魔をして抗力を引き起こし、電磁波の回転を惑星よりも遅らせている可能性がある。カッシーニやボイジャーそしてパイオニアなどの様々な観測結果から、2007年9月には最新の報告として、土星の自転は20時間32分35秒とされている。

土星の環
土星は、その環によって最も知られ、視覚的な特徴をなす[24]。この環は土星の赤道上空6,630kmから120,700kmの間に広がるが、その厚さはわずか20m程度に過ぎない。93%はソリンが混ざる水の氷で成り、7%は非結晶の炭素である。環は塵程度のものから10m長前後までの粒子で形づくられている。このような環は他の巨大惑星にも存在するが、土星のものは規模が特に大きく視認できる。環の起源には主に2種類の仮説があり、ひとつは破壊された土星衛星の残骸というもの、もうひとつは土星を形成した星雲の余りが残っているという考えである。また別に、衛星エンケラドゥスが噴出した氷も環の材料の一部になっている。過去、天文学者は環の形成は土星と平行して数十億年前と考えていたが[71]、その後数億年前と考えられるようになった。

環は、惑星から1200万km離れ他の環から27度の角度を持ったフェーベ環までが主要領域である。衛星の中にはパンやプロメテウスのような環が拡散するのを防ぎ封じ込める役廻りを持つものもあり、これらは羊飼い衛星群と呼ばれる。パンやアトラスの弱く直線的な密度波は、その質量を上回る有意な影響を土星の環に与えることができる。

歴史
土星の環は1610年にガリレオ・ガリレイによって初めて観測された。しかし、望遠鏡の性能が良くなかったために、ガリレオは輪になっていることを把握出来なかった。その様子をトスカーナ大公コジモ2世(在位:1609年 - 1621年)へ書き送っている。

「土星は一つではなく3つの星の集まったものです。それらはお互いに結合しており、動いたり変化したりすることはありません。これらは黄道上を同様に行き来し、中心になる土星と、その横にリングのようにくっついた構造をしています。」

彼はまた、土星には耳があるとも書いている。地球から見た土星の向きは土星が公転するにつれて変わるため、1612年には環を観測出来なくなった。しかし、1613年に見えなくなった環が再び見えるようになりガリレオをさらに悩ませた。

この土星の環の謎は1655年にクリスティアーン・ホイヘンスがガリレオよりも数段優れた望遠鏡で観測するまで解けなかった。1675年にジョヴァンニ・カッシーニは土星の環は間をあけた複数の輪で構成されている事を発見した。彼の名に因んでA環とB環の隙間はカッシーニの間隙と名付けられている。またA環内にはエンケの間隙と呼ばれるカッシーニの間隙よりも細い隙間が存在する。これはドイツの天文学者フランツ・エンケにちなんでつけられたものだが、現在のエンケの間隙はジェームズ・キーラーによって発見されたものである。A環にはキーラーの空隙と呼ばれる隙間も存在する。

物理的特徴
最近の望遠鏡や性能のよい双眼鏡を使えば土星の環は容易に観測することができる。環は土星の赤道から 6,630 km の距離から 120,700 km の距離まで広がっており、シリカや酸化鉄、氷の粒子などで構成されている。粒子は細かい塵状のものから、小さな自動車程度の物まで様々である。土星の環の起源については有力な説が2つある。一つは19世紀にエドゥアール・ロシュが唱えた説で、土星の衛星が土星に近づきすぎて潮汐力によって破壊されたというものである。この前提として、破壊された衛星に彗星や小惑星が衝突したとされている。もう一つはリングの構成物は元々衛星ではなく、土星形成時の星雲の成分がそのまま外に残った物という説である。後者で形成された場合、土星の環は数百万年も形状を維持できるほど安定していないため、この説は今日ではそれほど広くは受け入れられていない。

土星の環は内側から順にD環、C環、B環、A環、F環、G環、E環があり、F環、G環はよじれた構造をしている。地球から観察した場合、環の間隙は最も大きなカッシーニの間隙とエンケの間隙のみ見ることができるが、ボイジャーは土星の環に何千もの空白区間があることを発見した。この構造は土星にある多くの衛星の副産物と考えられる。また、衛星の運動以外では粒子同士の重力的共鳴現象によって環を形作っていると考えられる。

環の厚さはその大きさに比べて非常に薄く、特に内側ほど薄い。各環の中央部の厚さは不明であるが、端部ではC環が約5m、B環が5〜20m、A環が10〜30mである。仮に土星本体の直径を10mとして模型を作ったとすると、環の厚さは数μm程度となる。なお、G環の厚さは100km、E環は1万kmと推定されている。

F環は、羊飼い衛星のパンドラとプロメテウスの二つの衛星によって形を維持していると考えられており、物質密度の高いコアという部分と淡いストランドという部分で構成され、形状は常に変化している。2005年9月のカッシーニの観測により、F環のストランドが螺旋状であることが発見された[2]。螺旋構造の成因はF環とS/2004 S 6の衝突によると推測されている。

2006年3月、カッシーニによってエンケラドゥス南極付近に噴出孔が発見され、E環はここから放出された物質によって形成されたと考えられている。

環の夜側
太陽から照らされた面と、その反対(夜側)とでは環は全く異なったように見える。 夜側から見る環はかなり暗く、特にB環はほとんど黒に見える。地球からは土星の夜側を見ることができないので、宇宙探査機のみがこれを観測することができる。カッシーニはボイジャー以来25年ぶりに土星の夜側を撮影した。

環のスポーク
1980年まで、土星の環の構造は土星の重力のみによって形作られると説明されてきた。しかし、ボイジャーはB環のなかに暗い放射状の構造を発見した。これはスポークと呼ばれ、重力による環の軌道運動だけでは説明できない物だった。この現象は土星の環がほぼ土星の磁気圏内を運動しているため、環を構成している粒子の電磁相互作用によって生じていると考えられている。しかしスポークが形成される原因ははっきりと分ってはいない。

カッシーニは2004年7月の土星到着以来、ボイジャーと同等以上の精度で環を撮影したが、しばらくの間スポークは認められなかった。2005年9月に、スポークの写真が得られ、四半世紀を経てその存在があらためて確認された。スポークは、環の平面が太陽と大きな角度をなす土星の夏・冬には消失し、環の平面が公転面と重なる土星の春・秋に姿を現わすと考えられている。

衛星
土星は少なくとも62個の衛星を持ち、うち53個には正式な名称がつけられている。最大の衛星はタイタンで、全衛星と環を足した質量の90%以上を集めた天体である[77]。2番目に大きなレアは薄い大気を持つと考えられる。他の衛星は非常に小さく、34個は直径が10km未満、他の14個も50km未満に過ぎない。伝統的に土星のほとんどの衛星はタイタン以来ギリシア神話を由来に名づけられている。タイタンは太陽系で唯一有意な大気を持つ衛星であり、複雑な有機化学合成が行われている。そしてまた、表面に炭化水素の湖を持つ唯一の衛星でもある。

エンケラドゥスはしばしば微生物存在の可能性が指摘される。その根拠は、エンケラドゥスから発散する液体の塩水から成る氷のほとんどが海洋的な成分である事に見出されている。

土星探査
古代の観察
土星の存在は先史時代から知られていた。古くは、太陽系には地球を除く5つの惑星が遠くにあると認識され、神話からその名が与えられた。バビロニアの天文学(英語版)では、土星は系統的に観察され、その動きが記録された。そして土星の名称はローマ神話の農耕の神サートゥルヌスからつけられた[97]。ローマ人はサートゥルヌスをギリシア神話のクロノスと同一視し[97]、ギリシア人が持っていた最外の惑星を神聖なるクロノスとする考えを引き継いだ。現代ギリシア語でも土星をCronus (Κρόνος: Kronos) と呼ぶ習わしは残っている。

アレクサンドリアに住んだギリシア人の[100] クラウディオス・プトレマイオスは、土星の逆行現象を観察し、その軌道を決定する要素を得た[101]。インド占星術では、九曜の名で知られる9つの天体が置かれ、土星はその中のシャニという人間が生涯に積んだ善悪をもって裁くものと位置づけられた。古代ヘブライ語では、土星は「Shabbathai」と呼ばれた。

ヨーロッパにおける観察(17-19世紀)
土星の環を観察するには、少なくとも15mm口径の望遠鏡が必要で、1610年にガリレオ・ガリレイが試みるまでその存在は知られていなかった。観察した様子からガリレオは2つの衛星が土星の脇に見えているとしたが、この考えは、クリスティアーン・ホイヘンスがより高性能の望遠鏡で倍率を上げ行った観察で否定された。ホイヘンスは衛星タイタンを発見し、後にジョヴァンニ・カッシーニが1675年に衛星イアペトゥス、レア、テティス、ディオネを相次いで発見し、さらに見つけた環の間隙には彼の名が冠された。

1789年、ウィリアム・ハーシェルによってより遠方の衛星ミマスとエンケラドゥスの発見という重要な偉業がなされた。タイタンと軌道共鳴する異形の衛星ヒペリオンは1848年にイギリスのチームが発見した。

1899年にウィリアム・ヘンリー・ピッカリングが発見した衛星フェーベは典型的な不規則衛星で、大きな衛星に見られる自転と公転の同期状態に無かった。フェーベはこのような種類としては初めて発見された衛星で、一年以上の周期で逆行軌道(英語版)を取る。20世紀前半に進んだ研究を経て、1944年にタイタンが濃い大気を持つ太陽系の衛星では珍しい特徴を持つ事が分かった。

パイオニア11号
1979年、探査機パイオニア11号は雲の上空20,000kmを通過し、初めて土星に接近した。解像度が低く詳細を識別するには至らなかったが、惑星やいくつかの衛星を画像に収めた。また環の調査も行い、薄いFリングの存在、そして環の暗い空隙部分を太陽に対して位相角 (天体)(英語版)が小さい状態で観察すると輝いて見える事を発見した。後者は、軽く光散乱性を持つ物質がある事を示す。さらにパイオニア11号はタイタンの温度も測定した。

ボイジャー計画
1980年11月、探査機ボイジャー1号が土星系に接近し、惑星や環および衛星の高画質映像を初めて撮影し送信した。こうして、さまざまな衛星が持つ表面の特徴が明らかになった。さらにタイタンへの接近も行われ、大気についての知見を深め、可視光線が通過しないため地表の観測ができないことが判明した。最後にボイジャー1号は軌道を変え、太陽系外に向かった。

およそ1年後の1981年8月、ボイジャー2号によって土星系研究は続けられた。より接近した衛星の画像が得られ、大気や環の情報が更新された。しかし、カメラのプラットホームがトラブルから2日間稼動せず、予定されたいくつかの撮影が出来なかった。最後にボイジャー2号は土星の重力を使って軌道を変更し、天王星に向かった。

カッシーニ
NASAと欧州宇宙機関 (ESA) 共同の探査機カッシーニは1997年に打ち上げられた。カッシーニは探査機本体をNASA、ホイヘンス・プローブをESAが担当した。2004年6月、土星に接近し、高解像度の画像を送ってきた。同年7月1日、土星周回軌道に乗り長期間探査 (SOI, Saturn Orbit Insertion) を開始した。

探査機は土星最大の衛星タイタンに接近しレーダー探査を行ったところ、大きな湖と数多い島や山を持つ海岸線が発見された。カッシーニは2度タイタンに接近し、2004年12月25日には小型のホイヘンス・プローブを投入した。ホイヘンスは2005年1月14日にタイタンを降下しながら膨大な情報を送信し、地表に着陸した。

2006年にNASAはカッシーニが土星の衛星エンケラドゥスに、間欠泉として噴き出す液体の水が溜まっている証拠を見つけたと発表した。画像は、エンケラドゥスの南極域から氷の粒子が土星を廻る公転軌道上に放たれている様子を掴んでいた。カリフォルニア工科大学のアンドリュー・インガソルは、「太陽系の中で、液体の水を持つ他の衛星は数キロメートルもの氷の層で塞がれている。ここ(エンケラドゥス)が違うところは、液体の水が溜まっている所が表面から10mと無い場所なのだろう」と推察した。2011年5月、NASAのエンケラドゥス観測グループ会議の科学者は、エンケラドゥスが「地球の外にある太陽系内で、私たちが知りえる中で生命にとって最も生育に適している」と報告した。

カッシーニの画像は他にも重要な発見をもたらした。明るい土星の環の主要部分とG・Eリングの間に未発見だった環が存在することを明らかにした。この環をつくる材料は、2つの衛星に流星が衝突して供給されたと考えられている。2006年7月、カッシーニの画像からタイタンの北極近くに炭化水素の湖が存在する証拠がもたらされ、これは2007年1月に確定された。同年3月にはカスピ海ほどの大きさの湖も捉えた。一方、2006年10月には土星の南極にある直径8000kmもある六角形の嵐が、台風の目を持つ事を突き止めた]。

2004年から2009年11月2日までの間に、カッシーニは8個の新しい衛星を発見した。当初の任務は土星を74周して達成されたが、2010年9月までの運用継続が決まり、さらに土星の季節変動を研究するために2017年まで再延長された。

今後の探査構想

2007年には、ESAが将来の宇宙探査ミッションの候補の一つとして、NASAとの共同による土星圏探査ミッション「タンデム計画」を選定した。土星本体とタイタン、エンケラドゥスが主目標であり、タイタンの大気中に気球を送り込むことも計画されている。

地上からの観測
土星は肉眼でもはっきり見える5つの惑星の中で最も遠くにある。夜空に輝く明るい黄身がかった光の点は、等級にすると通常+1から0である。土星が黄道十二星座の各星座を背景に黄道を一周するには29.5年がかかる。ほとんどの人にとって、土星の環を観察するには大きな双眼鏡や望遠鏡など少なくとも20倍以上拡大できる光学機器が必要になる。

ほとんどの時間に空にある土星と環を見る事ができるが、特に衝(太陽から離角が180度の正反対の位置)の時が観測には好ましい。2002年12月17日の衝では、土星の環の明るい面が地球軌道を向けており、2003年末には地球や太陽に最も近づいた土星の姿が見られた。

人類と土星

歴史と神話

英名サターンはローマ神話の農耕神サトゥルヌスに由来。太陽から遠く運行が遅いことから年老いた神の名が付けられた。習合されるギリシャ神話の農耕神はクロノス。クロノスは大神ゼウス(木星)の父で、ゼウスに殺されたとする説もある。

占星術

土星は七曜・九曜の1つで、10大天体の1つである。

西洋占星術では、磨羯宮の支配星で、宝瓶宮の副支配星で、凶星である。制限を示し、規律、教育、安定、不動産に当てはまる。
土星の惑星記号は、天動説時代に第五惑星とされたため、アラビア数字「5」を図案化したものが、占星術・天文学を通して用いられる。数字「5」に農耕神の持ち物である鎌の意匠が付与された記号デザインが一般的である。

家紋
「土星に天体」という家紋が存在する。

土星を扱った作品
土星またはその周辺が主な舞台となる作品等。
音楽
グスターヴ・ホルストの組曲『惑星』の第5曲「土星、老いをもたらす者」

小説
『2001年宇宙の旅』(アーサー・C・クラーク) - 映画版では木星までしか行かない。
『サターン・デッドヒート』(グラント・キャリン)
『8ガールズ オデッセイ』(吉田親司)
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