2013年07月16日

石井久美子(18歳/出身地:東京都)さんが、世界最高峰マリインスキー・バレエ団に日本人で初めて入団が決定!

平成23年度に開催した、第16回 ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー 留学生オーディション合格者、石井久美子さんがマリインスキー・バレエ(旧キーロフ・バレエ)へ日本人初の正団員として入団することが決定した。
今回の石井久美子さんの入団は日本人初となる快挙であると共に、ワガノワ・バレエ・アカデミー留学生オーディション合格者のレベルの高さを証明する好例となる。

1 オーディションの概要
『ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー』公認の国内唯一の留学生オーディション。日本バレエ界の発展に資するとともに、ロシアとの国際交流に寄与することを目的として平成8年度から毎年『栃木県総合文化センター』で開催。今年度で18回目となり、これまでに88名が留学している。オーディションは公益財団法人とちぎ未来づくり財団とロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミーの主催で行っている。

2 石井久美子さんのプロフィール
(1)氏名(ふりがな):石井久美子(いしいくみこ)(2)出身地:東京都
(3)年齢:18歳(合格時16才)(4)合格時学校:東海大学附属望星高等学校2年在学
(5)合格時所属スタジオ:祥子バレエ研究所(6)主なコンクール受賞歴:とくになし

3 石井さんの留学期間と現在の状況
ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミーへ2011年9月から2013年6月までの2年間留学し、6月末に卒業、帰国。現在ビザ取得待機中。9月上旬ロシアへ出発予定。

4 参考
[平成23年度の留学生オーディション合格状況]
応募者25名合格者5名

[マリインスキー・バレエ]
ロシアの文化・芸術の都、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場を本拠地とするバレエ団。ロシア・バレエ発展の中心地となり、ソ連時代はキーロフ・バレエの名で有名。出身ダンサーはアンナ・パヴロワ、ヴァーツラフ・ニジンスキー、ジョージ・バランシン、ルドルフ・ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフなど。

[ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー]
マリインスキー劇場附属のバレエ学校。世界最高峰と謳われ、4,000名を超える入学志願者のうち厳しい審査を合格した60人ほどが入学を許される。さらに卒業は毎年15〜20人と少数である。卒業生は選び抜かれたバレエのエリートとなるが、マリインスキー・バレエに全員が入団できるわけではない。外国人留学生が正団員として入団をすることは極めてまれである。(近年までロシア人のみの入団とされていた。)現在は外国人ではアメリカ人1名、イギリス人1名が正団員として入団しているのみ。

石井さんは栃木県で行われている第16回 ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミー 留学生オーディション合。
石井さんは、ワガノワ・バレエ・アカデミーへ2011年9月から2013年6月までの2年間留学し、6月末に卒業、帰国。現在ビザ取得待機中。9月上旬ロシアへ出発予定だそうです。
マリインスキー・バレエは入団選考に際してはテクニックはもとより、身長、体重、顔、や手足の長さ、肌の色までも厳しい基準があり、ロシア系の乳白色のダンサー以外は採用しなかったのです。
マリインスキー・バレエに正式入団ということは超一流の証ということなのです。
石井久美子さんの今後のご活躍をココロよりお祈りしています。

★マリインスキー・バレエは、ロシアのサンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場のバレエ団である。ソビエト連邦時代にキーロフ・バレエ(1935 - 1991年)と改称されたが、ソビエト連邦崩壊後、以前の名称であるマリインスキー・バレエへ戻した。


概要
ロシア帝国の宮廷バレエを起源とし、ロシア国内で最も格調の高いバレエ団である。

歴史

世界的にも長い歴史をもち、バレエの歴史に多大な影響を残したバレエ団である。 どの時代においてもロシア国内で最もレベルの高いバレエ学校を擁し、常に素晴らしい人材を輩出してきた。

18世紀初頭 ー ロシアバレエの黎明期
当時後進国であったロシア帝国にフランスから宮廷バレエが伝わる。1730年代にフランス人ジャン・バティスト・ランデにより首都サンクトペテルブルクに帝室舞踊学校が創立された。これがマリインスキー・バレエの起源となる。

18世紀後半 ー 宮廷バレエから劇場バレエへ
1783年、女帝エカチェリーナ2世の勅令によりオペラとバレエ専用のボリショイ劇場(サンクトペテルブルク)が建設され、ここを活動拠点とする。

1800-1850 ー ロマンティック・バレエの隆盛
フランスを中心にロマン主義の影響を受けた作品が生まれ、これらを積極的に取り入れていた。

1850-1900年 ー クラシック・バレエの誕生
フランスから招聘した振付師マリウス・プティパの活躍により、多くのクラシック・バレエの演目がこのバレエ団から誕生した。プティパとチャイコフスキーのコンビによる3大バレエ(『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』)も、このバレエ団から誕生した。

1886年、老朽化によりボリショイ劇場(サンクトペテルブルク)を閉鎖し、1860年に竣工したマリインスキー劇場を活動拠点とする。

1900-1930年 ー モダン・バレエとクラシック・バレエの世界展開
19世紀後半、西欧ではバレエが衰退しパリでもバレエを上演しなくなっていた。 そんな時代に、ロシア人を中心にしたバレエ団バレエ・リュス(1909-1929年)はパリを中心に好評を博し、世界中で巡業し、当時西欧で斜陽化していたバレエ文化を再興した。このバレエ団は、クラシック・バレエにない新しいステップや民族舞踊を採り入れた革新的な振付で、モダン・バレエを生み出した。 このバレエ団の振付家、舞踏家の過半数は、マリインスキー・バレエ出身者で構成されていた。

また、20世紀初頭は政治的に不安定になり、ロシア革命(1917年)を機に国外への亡命者が相次いだ。彼らが他国のバレエ団でプリンシパルや振付を行い、多くのバレエ団にクラシック・バレエの演目が加わることになる。こうしてバレエ文化の再興とクラシック・バレエを世界的に広める役割を果たした。

1922-1991年 ー ソビエト連邦時代
ロシア革命後、ソビエト連邦は首都をサンクトペテルブルクからモスクワに遷都した。また革命でロシア帝国を滅ぼした建前上、宮廷起源であるマリインスキー・バレエを依然と同様に庇護するのではなく、国策としてモスクワのボリショイ劇場バレエ団を国を代表する組織にするべく強化した。 多くの優秀な舞踏家、振付家をボリショイ・バレエに輩出し、ボリショイ劇場のレベルをあげるのに貢献した。

この時代は、厳しい言論統制により上演できる演目が規制されていた。バレエ・リュス(団員のほとんどがロシア国外へ亡命)の作品や20世紀以降のフランスやイギリス(資本主義国家)の振付家による作品は、その対象となりロシア国内では上演されなかった。

1992-現在
ロマンティック・バレエやクラシック・バレエを中心に評価が高い演目を擁する。ソビエト連邦時代には国外での知名度はボリショイ・バレエに比べて低かったが、徐々に浸透してきている。

バレエのスタイル
ロシア帝国時代は、バレエ団への入団は貴族の子弟に限られていた為、貴族的で古典的な美しさを崩さず優雅で上品、特に腕のラインが美しいことを特徴としていた。これは現在にも息づいている。
とりわけコール・ド・バレエ(群舞)の評価が高く、ソビエト連邦時代は踊り手の身長・手足の長さなどのスタイルまで揃えていた。これは、舞踏家のレベルが高く、人材が豊富な証拠でもある。

名称の変遷

所属している劇場や都市の名称が政変等により改名されており、多様な翻訳名や記述が存在する。(例:ペトログラードの帝室バレエ団等)

バレエ団名
ロシア帝国時代 -1920?: ロシア帝室バレエ団(英語:Imperial Ballet / Imperial Russian Ballet)ー 文献ではこの名称が使われてきた。
1860-1922?: マリインスキー・バレエ(英語:Mariinsky Ballet)ー ロシア国内ではこの名称で親しまれていた。

ソビエト連邦時代 ー 言論統制により、旧名称は使用禁止となった。 1922?-1935: ソビエト・バレエ(英語:The Soviet Ballet)
1935-1991: キーロフ・バレエ(英語:Kirov Ballet)

ロシア連邦時代 1992- : マリインスキー・バレエ(英語:Mariinsky Ballet)


劇場名
現在の名称 = マリインスキー劇場
別称等 = 帝室マリインスキー劇場、帝室劇場等

都市名
現在の名称 = サンクトペテルブルク
別称等 = サンクト・ペテルブルク、ペテルブルク、ペトログラード、レニングラード、サンクト・ピーテルブールフ、セントピーターズバーグ等。

主要な初演

ボリショイ劇場(サンクトペテルブルク) ー 別称:ボリショイ・カーメンヌイ劇場
1862: 『The Pharaoh's Daughter』− 振付:マリウス・プティパ、作曲:チェーザレ・プーニ
1864: 『The Little Humpbacked Horse』− 振付:Arthur Saint-Léon、作曲:チェーザレ・プーニ
1877: 『ラ・バヤデール』− 振付:マリウス・プティパ、作曲:レオン・ミンクス

マリインスキー劇場
1890: 『眠れる森の美女』ー 振付:マリウス・プティパ、作曲:ピョートル・チャイコフスキー
1892: 『くるみ割り人形』ー 振付:レフ・イワーノフおよびマリウス・プティパ、作曲:ピョートル・チャイコフスキー
1895: 『白鳥の湖』[2] ー 振付:マリウス・プティパ、作曲:ピョートル・チャイコフスキー
1898: 『ライモンダ』ー 振付:マリウス・プティパ、作曲:アレクサンドル・グラズノフ
1907: 『レ・シルフィード』ー 振付:ミハイル・フォーキン、作曲:フレデリック・ショパン、編曲:アレクサンドル・グラズノフ
1956: 『スパルタクス』ー 振付:レオニード・ヤコブソン、作曲:ハチャトゥリアン

人材の輩出

バレエの歴史に影響を与えた多くの舞踏家、振付家を輩出してきた。
ミハイル・フォーキン ー 1898年入団(1905年振付師・教師) --> 1909年バレエ・リュス(振付師・教師)
アンナ・パヴロワ ー 1899年入団 --> 1908年海外巡演。1909年バレエ・リュス
タマーラ・カルサヴィナ ー 1902年入団(1909-1914年バレエ・リュス兼務) --> 1918年亡命。バレエ・リュス。1931年英国ロイヤル・バレエなどにバレエ・リュスやマリインスキー・バレエのレパートリーを伝授。
ヴァーツラフ・ニジンスキー ー 1908年入団(1909年バレエ・リュス兼務) --> 1911-1916年バレエ・リュス
ジョージ・バランシン ー 1921年入団 --> 1925-1929年バレエ・リュス(舞踏家/振付家)--> 1933年ニューヨーク・シティ・バレエ団を設立
ガリーナ・ウラノワ ー 1928年入団 --> 1944年ボリショイ・バレエ
ユーリー・グリゴローヴィチ ー 1946年入団(1962-1964年振付師)--> 1964年ボリショイ・バレエ(1988-1995年芸術監督)
ルドルフ・ヌレエフ ー 1958年入団 --> 1961年亡命。1963年英国ロイヤル・バレエ --> 1983-1989年パリ・オペラ座芸術監督
ナタリア・マカロワ ー 1959年入団 --> 1970年亡命。アメリカン・バレエ・シアターや英国ロイヤル・バレエなどで客演。
ミハイル・バリシニコフ ー 1967年入団 --> 1974年亡命。アメリカン・バレエ・シアター --> 1978年ニューヨーク・シティ・バレエ団 --> 1980-1989年アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパル兼芸術監督
ファルフ・ルジマートフ ー 1981年入団 --> 1990年アメリカン・バレエ・シアター --> マリインスキー・バレエ

所属ダンサー
ディアナ・ヴィシニョーワ(Диана Вишнёва)
ウリヤナ・ロパートキナ(Ульяна Лопаткина)
ユリヤ・マハリナ(Юлия Махалина)
イルマ・ニオラーゼ(Ирма Ниорадзе)
ダリヤ・パヴレンコ(Дарья Павленко)
アリーナ・ソーモワ(Алина Сомова)
ヴィクトリア・テリョーシキナ(Виктория Терёшкина)
イーゴリ・ゼレンスキー(Игорь Зеленский)
エフゲニ・イワンチェンコ(Евгений Иванченко)
イーゴリ・コルプ(Игорь Колб)
ダニラ・コルスンツェフ(Данила Корсунцев)
デニス・マトヴィエンコ(Денис Матвиенко)
レオニード・サラファーノフ(Леонид Сарафанов)
アンドリアン・ファジェーエフ(Андриан Фадеев)


マリインスキー・バレエ 基本情報


名称
マリインスキー・バレエ

旧名称
ロシア帝室バレエ団
The Soviet Ballet
キーロフ・バレエ

設立
1740年ごろ

所在地
ロシアの旗 ロシア
サンクトペテルブルク市
劇場広場1
マリインスキー劇場

Website
http://www.mariinsky.ru/en

Senior Staff


芸術総監督
ヴァレリー・ゲルギエフ
(マリインスキー劇場)

舞踊監督
Yury Fateyev

舞踊助監督
Tatiana Bessarabova

Reserve Troupe Director
Andrei Bugaev

その他


所属劇場
マリインスキー劇場

附属学校
ワガノワ・バレエ・アカデミー

階級
Principal
First Soloist
Second Soloist
Principal Character Artist
コリフェ
コール・ド・バレエ
研修生
posted by kisebeauty50 at 09:44| Comment(0) | バレリーナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

美しすぎるドイツのバレエダンサーピーナ・バウシュ(Pina Bausch)の3回忌にさまざまなイベントが催される。

■「ピナ・バウシュが愛した音楽家 三宅純」■
  会期:2012年6月19日(火)−7月8日(日)
  会場:デルフォニックス渋谷ギャラリー       ※入場無料
     東京都渋谷区宇田川町15-1渋谷PARCO PART B1F
     Tel 03-3477-5949 / Open 10:00-21:00

★ピーナ・バウシュ(Pina Bausch 本名Philippine Bausch,1940年7月27日 - 2009年6月30日)はドイツのバレエダンサー、バレエとコンテンポラリー・ダンスの振付家。


来歴

1940年ドイツのゾーリンゲン生まれ。実家はカフェレストラン。

14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学(ドイツ語版)でクルト・ヨース(ドイツ語版)に師事。18歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダー(英語版)の勧めによりメトロポリタン・オペラ・バレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団などで活動。

1962年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学(ドイツ語版)の教授にもなっている。同年の作品 『時の風の中で』 がケルンの国際振付家コンクールで1位を獲得した。

1973年、ヴッパタール舞踊団(ドイツ語版)の芸術監督に就任する。

ドイツ表現主義舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・シアター(ドイツ語版)」と呼ぶ。

1983年フェデリコ・フェリーニ監督の映画 『そして船は行く』 に出演。 1999年坂本龍一オペラ 『LIFE』 に出演。 2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品 『トーク・トゥ・ハー』 の冒頭で代表作である「カフェ・ミュラー」を彼女自身が踊っている。

2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で死去した[1]。日本では前年(2008年)4月2日の滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホールで、『フルムーン』を踊ったのが最後の公演であった。

2011年に彼女の死により制作が中断されていたドキュメンタリー映画『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が公開された。

◆1940年ドイツ・ゾーリンゲン生まれ。14歳からエッセンのフォルクヴァンク芸術大学でクルト・ヨースに師事。18歳で首席卒業後、国費交換留学生としてニューヨーク、ジュリアード音楽院舞踊科に入学。アントニー・チューダーの勧めによりメトロポリタン・オペラ・パレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団などで活動。

1962年に帰国し、フォルクヴァンク舞踊団でソリストとして活躍。振付を開始し、1969年には芸術監督に就任。この年フォルクヴァンク芸術大学の教授にもなっている。同年の作品 「時の風の中で」 がケルンの国際振付家コンクールで1位を獲得した。1973年、ヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任する。ドイツ表現主義舞踊の権威であるヨースの影響を色濃く受け継ぎながら、演劇的手法を取り入れたピナ独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合とも言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」と呼ぶ。

その独創的で高水準な舞台は、数年にして欧米で、やがて世界中で高い名声を獲得。ダンスの相貌と歴史を一挙に塗り変え、80年代にはブームというべき舞踊の時代を招来、カンパニー創立39年を迎えてなおその人気と評価は揺るがない。日本では彼女の初来日公演が「日本におけるモダンダンスの歴史の始まり」とされ、その後20年以上も来日公演を繰り返し、ほぼ毎回1万人以上の動員を記録した。

1983年フェデリコ・フェリーニ監督の映画 「そして船は行く」 に出演。 1999年坂本龍一オペラ 「LIFE」 に出演。 2002年にはペドロ・アルモドバル監督作品 「トーク・トゥ・ハー」 の冒頭で代表作である「カフェ・ミュラー」を彼女自身が踊っている。
2009年6月30日、ガンの告知を受けた5日後に68歳で死去した。日本では前年(2008年)4月2日の滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホールで、「フルムーン」を踊ったのが最後の公演であった。

ピナ・バウシュ ブッパタール舞踊団 公式サイト http://www.pina-bausch.de/


作品
2009年「春の祭典」のカーテンコール 『春の祭典』(1975年)
『七つの大罪』(1976年)
『カフェ・ミュラー(フランス語版)』(1978年)
『カーネーション(フランス語版)』(1982年)
『ヴィクトール』(1986年)
『パレルモ、パレルモ(フランス語版)』(1989年)

受賞歴
1999年高松宮殿下記念世界文化賞
2006年ローレンス・オリヴィエ賞
2007年京都賞
2008年ゲーテ賞(独)

文献
Finkel, Anita, "Pina Bausch", International Encyclopedia of Dance, vol.1, p.391, ISBN 0-19-517585-9
ピナ・バウシュ 過去の歴史 乗越たかお
posted by kisebeauty50 at 22:14| Comment(0) | バレリーナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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